あいまいなインターネット

上野・御徒町・秋葉原のことを中心に発信できるといいなあ

(雑メモ)鎌倉殿の13人を見ていて気になった上総広常の軍隊規模と農業生産力

 鎌倉殿の13人では、第5話~第6話で石橋山の戦いに惨敗した源頼朝北条時政軍は千葉県南部の安房に落ち延び、第7話以降、安房を起点に千葉県(安房・上総・下総)の諸豪族を取込み、兵力を数万人規模に拡大しました。

 このとき源頼朝軍の幕僚内では安房の安西氏、下総の千葉氏を味方に引き入れた一方、源平合戦の勝利を決定づける人物として上総広常が重要視されます。

 

 幕僚会議では上総広常は2万近くの兵力を有しており、当時の関東諸豪族の中では頂点に近い軍事力を有するような存在として描かれていました。

 石橋山の戦いで頼朝・北条軍が動員できたのは300人程度である一方で、上総軍は単独で2万人近くできるようであり、この兵力差の理由について農業生産力の観点から考えてみました。

 

 兵力を考える上でその土地の農業生産力は基本となります。農業生産力が高ければ食べさせることができる人間が多くなり、それに応じて人口規模も拡大するからです。
 そして、当時の武士団の兵力の中心は武装化した一般農民であり、農業がさかんで人口規模が多ければ動員可能な兵力も大きくなります。

武士と荘園 (tamagawa.ac.jp)

 

 当時の農業生産力を推し測ることは難しそうですが、太閤検地による米の全国生産高統計が共通手法による統計であることから、一つの参考になりそうです。
 1石は体積単位ですがだいたい1石=成人1名の消費量と考えられるそうで、人口規模を下支えする指標として扱いやすそうです。

以下の上総と伊豆の石高差を見ると、約5倍近くの差があります。

 上総:37.3万石

 伊豆:7万石

太閤検地における国別石高 : 塩はうまくてまずいです (exblog.jp)

 

また、高島正憲さんという研究者が古代日本の農業生産の研究をしているようで、
論文内の田んぼの広さを見ても、上総の耕地面積はかなり上位にあったようです。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/81/4/81_563/_pdf/-char/ja

 

 しかも伊豆地方は北条時政山木兼隆・伊藤祐親等の諸豪族が分割しており、7万石をさらに数分割している状態です。その一方で上総は上総広常が有力豪族として全体を支配しているようでした。

 ここから、全体で7万人しか下支えできない伊豆の諸豪族と比較して、単独で40万人近くを下支えできる能力がある上総の国力は絶対的であったと思われます こうした豊富な農業生産力を背景にした上総氏の軍事力が、「上総広常がついたほうが勝つ」という言葉につながるのでしょう。

(※もちろん、関東地方の農地開発が進んだのは江戸時代以降であり、当時は太閤検地以前よりも農業生産力が低いと思われるため、この指標は参考程度であることに留意する必要はあります)。